私の学歴は、大学が信州大学工学部で、大学院が北海道大学大学院です。

 

一応世間一般では高学歴(?)の部類に属します。
ネットで見た情報ですが、駅弁大学である信州大学に入学した段階ですら、全人口の上位5%の人間らしいです。

 

ホントかよ?と思います。

 

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信州大学工学部は、センター試験で65%得点して、2次試験で6割も取れば合格出来ます。
センター試験で65%の得点は、ハッキリ言ってどんなバカでも1年間死ぬ気で努力すれば充分取れます。
小学生の時のあだ名が知能遅れで、中学の時にクラスビリから、偏差値50の程度の高校にやっとこさ入学したレベルの私ですら、自分なりに死ぬ気で努力して出来ましたので。
そして、信州大学工学部程度の2次試験の入試問題なら、その辺の書店で売っている白チャートや黄チャートといった基本レベルの参考書で充分対応できます。
それらの本に書かれている内容を、1年かけてじっくり読み込んでしっかり吸収すれば、間違えなく合格できると断言します。

 

必要なのは、本1冊にかじりつく根性としつこさ、粘り強さだけです。
だから、私は全人口の上位5%の人間だと全く思っていません。
上位5%なんて、学歴だけで決められた序列であり、所詮過去の栄光に過ぎません。

 

統計上、全人口の上位5%に属する人間だと言われても、今この瞬間堕落した状態なら、全くお話になりません。
大事なのは、今この瞬間を楽しく・穏やか過ごしているかどうかだと私は思います。
かつての私のように、会社で落ちこぼれて腐っていたり、ネットワークビジネスという幼稚園児犯罪ビジネスにハマったりなど、墜落した生活を送っていてはなりません。
折角北海道大学大学院という旧帝国大学大学院に属する大学を卒業して、表面上は立派な人間に見えていても、そこに人間性が伴わなければダメだと思います。

 

さて、本題に入ります。
今回お話するのは、私が北海道大学大学院にいた時の話です。

 

私は一応、旧帝大大学院卒の学歴があります。
信州大学工学部卒の段階で、学歴だけ見れば、全人口の上位5%らしいです。
私はその学歴にプラスして、北大大学院の学歴があるので、学歴だけ見ればさらに上位に属するのでしょう。
どうでも良い指標なのですが、やはり北大大学院に集まる人間は大変優秀でしたし、そこで受けた教育も信州大学工学部以上に効果があったと言えます。

 

まず、北大大学院の素晴らしいところについて紹介します。

 

・学生の意識が高い
「自分は旧帝大の学生だ」という自覚を持って、真摯に研究に取り組む学生ばかりでした。

 

私が入学したのは、工学研究科のように、下に学部を持たない独立系研究科の大学院です。
入学試験ですが、入試問題も笑えるくらい簡単でしたし、面接試験も形だけのものでした。
入学するのは非常に簡単でした。
ですので、学歴を上げたいだけで気楽な気持ちで入学してきた学生ばかりだろうと高をくくっていましたが、この意識の高さに面食らいました。

 

大学院は、日々の研究の他に、授業も少々あります。
私は信州大学時代は、よく大学の授業を寝過ごしてサボったり、授業中居眠りしたり、違うことをして遊んだりしていました。
周りもそんな感じで、試験勉強だけ集中して勉強していただけで、後はサボって遊んでいました。
しかし、北大大学院の学生は、授業は全て出席し、誰一人として居眠りすること無く真面目に受けていました。

 

研究室は、月に一回論文発表会があります。
これは、自分の研究テーマと関係が深い論文を、北大の専門サイトから拾ってきて、それを精読した上で、内容をパワーポイントにまとめて紹介する発表会です。
信州大学時代も、毎月論文発表会がありました。
この時は、「どうせみんな分かんないから適当に発表しちゃおw」という気持ちで、論文発表会の準備を適当にやっていました。
実際に、発表会の最中は、院生も含めて全員面倒くさそうに適当に聞いている感じでした。
しかし、北大大学院の研究室の人間は全く違いました。
皆さん、日々の研究と平行して、論文発表会の準備を1ヶ月前からコツコツと進めていました。
題材の論文を紙がボロボロになるだけ読み込むことはもちろん、その論文の引用論文を全て読んで、曖昧な点や不明点を自分なりに解決して発表会に挑んでいました。
発表会で紹介するパワーポイントのレイアウトも、非常に分かりやすく完璧な出来でした。
信州大学時代の論文発表会では、カンペを棒読みして適当にやり過ごす感じでしたが、北大大学院の研究室の人達は、作成したパワーポイントを何十回と見返してイメージトレーニングを重ねており、カンペを使わずに理路整然と内容を説明していました。
そして、論文発表会を聞いている学生らも、ただ適当に聞き流しているのではなく、一生懸命内容を聞いて理解に努め、積極的に質問していました。
教授も交えて、非常に鋭い質問を投げかけられ、その質問に対して周りの学生が興味を示して教授に質問したりと、質疑応答と言うより、全体で討論会をやっている感じでした。
信州大学時代の研究室の論文発表会は、15分位でさっさと終わっていましたが、北大大学院の研究室の論文発表会は、1~2時間かかることがザラにありました。
私の研究室はまだ緩い方で、もっと厳しい研究室になると、半日以上、質疑応答と討論会が延々と続いていたみたいです。
論文発表会が終わった後も、学生同士で論文内容の話で盛り上がりました。
信州大学時代でしたら、さっさと昼飯を食べに行っていたのに。
北大大学院の研究室の論文発表会は、非常にハードでした。

 

こうしたハードなことを何度も何度も経験してきたおかげで、就職活動での面接はかなり緩く感じました。
それでも、落ちまくりましたが。

 

研究については言うまでもありません。
朝一で出勤するのはもちろん、実験にハマると何日も徹夜したりしなくてはなりませんでした。
2年間の間に、何冊もの実験ノートが実験データで埋め尽くされました。
さらに、実験の合間に、実験データの検証をするために、研究テーマと関連する論文を読んだりもしていました。
ハッキリ言って、大学受験以上に勉強していました。

 

北大大学院は、学部時代に北大に行きたかったのに行けなかった大学でしたので、入学できたのは大変嬉しかったです。
しかし、ここまで大変だとは全く思っていませんでした。
私は、北大に入ればモテモテで、藤女子大学の美女と遊び放題のパラダイスだと思い込んで入学しましたが、全く遊ぶヒマがなくてかなり落ち込みました。
なお北海道で北大の学歴があっても、容姿と人間性が伴わなければ全くもてません。
北海道では、北大の学歴よりも、公務員の肩書のほうが遥かにモテます。

 

・設備が凄い
私の研究室は、三菱化学や三井化学、住友化学などの超一流企業と共同研究をしており、研究資金が潤沢にありました。
その研究資金で購入した、億単位する実験装置がその辺に置かれていました。
もし研究室に、今使いたい装置が置かれていなくても、他の研究室を探せば必ずどこかにありました。
さらに、一瓶何十万円もする薬品が注文し放題でした。
信州大学時代の研究室は、研究資金が不足しがちな貧乏研究室で、薬品を気をつけて節約して使うよう厳命されていました。
私は実験が嫌いですが、実験が楽しいと感じる人には、北大大学院の研究室のこの環境はパラダイスなのではないでしょうか。

 

・教授陣が一流
東大・京大・東工大・その他旧帝国大学で博士課程を修得された方々ばかりでした。
博士課程を卒業後、エネオスなど石油企業の研究職として働き、その後北大大学院で准教授になったという方も大勢いました。

 

北大ではジンパという行事が、至る所で開催されています。
ジンパとは、要はジンギスカンパーティーのことです。
私の独立研究科でも、研究科全体でのジンパが年に2回ほど行われました。
そこで、教授らと交流して、東大大学院時代の話、超一流企業時代の話などが聴き放題です。
その話を聞くだけでも、意識が高まり、自分のスケールが広がります。

 

そのジンパに、三菱化学やトヨタや旭硝子などの超一流企業に勤めているOB・OGも参加します。
そこでOB・OGに気に入られて、企業のインターンシップに誘われて、そのまま入社出来たりなんてこともあります。

 

独立研究科でロンダの巣窟といえど、腐っても北大です。
こういう凄いことが日常茶飯事でした。

 

北大大学院はこれだけ素晴らしいことだらけなのですが、私は研究職は目指しませんでした。
北大大学院の研究室時代に、以下に示す致命的な欠点に触れてしまったからです。

 

・安易に他人を見下す幼稚な人間だらけ
私の研究室は、比較的規模の大きい研究室でした。
北大の理学部の研究室で教鞭をとられて定年退職された方を、研究員として再雇用したりしていました。
私は、北大大学院時代に1年間、そのジイさんにマンツーマンで指導していただきました。

 

しかし、このジイさんとウマが合わず、徹底的にいじめられました。
コイツのやっていたことは立派なアカデミックハラスメントでした。

 

しかし、コイツは何故か研究室の学生から尊敬されており、コイツに認められないと研究室では人間扱いされませんでした。
よって、コイツに嫌われた私は、研究室で周りから小馬鹿にされてきました。
コイツから認められていない、ただそれだけの理由で。

 

研究室の同期から、日々見下すような喋り方をされてきました。
極めつけは、研究室旅行で泊まったコテージで私が2階で寝ていたら、聞こえるように悪口を言われたことがありました。
・masaくんは研究が出来ない
・masaくんは頭が悪い
・masaくんの隣に座るのが嫌だ、席替えして欲しい
など。
それを、博士課程の先輩含め、全員で楽しそうに悪口で盛り上がっていました。
日々アカデミックハラスメントを受けて我慢の限界に達した私は、下に降りて怒鳴り返しました。
そうしたら、全員シーンっとなってバツの悪そうな顔をして俯いていました。
それから、見下すような喋り方をされたりすることはなくなりましたが、周りから嫌厭され距離を置かれるようになってしまいました。
そして、影で「なんだあの野郎、盗み聞きしやがって」と逆切れしていたそうです。

 

このジイさんを非常に尊敬していた博士課程の先輩が、特に質が悪い人間でした。
ただこのジイさんに認められていないという理由だけで、私を見下して、しつこくしつこく嫌味を言ってきました。
・○○先生がこんなに怒るのは、あのお馬鹿な中国人の研究生以来だ
・お前と同じ空気を吸っているだけで反吐が出そう
・お前はゴキブリ
・お前の言うことは全て意味不明
・あ~腹が立つ(ヘラヘラ)
こういうセクハラを、この博士課程の先輩から毎日のように受けました。

 

ある時、このジイさんの指示で、この博士課程の先輩と同じ実験装置を使うことになりました。
こいつは、このジイさんと一緒に「この方と同じ実験装置ですか~。壊しちゃうかもぉ~。う~ん、僕の研究に支障が出るかもぉ~。」
このように私をバカにした博士課程の先輩ですが、バカにした本人がこの実験装置を壊し、私の研究に支障が出てしまいました。
マヌケですね。
当時私も子供でしたので、この博士課程の先輩に言ってやりました。
「先輩は俺が実験装置を壊す壊すって散々言ってきましたが、その先輩自身が壊してるじゃないですか!!!いい加減にして下さい!」

 

この1件があってから、こいつは私に嫌がらせをしてこなくなりました。
表立っては。
しかし、影で相当私の悪口を言っていたそうで、一流企業にお勤めのOBが研究室に来た時も、「彼だけは止めといたほうがいいですよww」と悪口を言いふらしていたそうです。

 

しかし、この博士課程の先輩も、三菱化学に就職していかれた同期から、非常に気持ち悪がられていました。
この方とは、研究室訪問でお話しただけですが、非常に話しやすく、気さくな方でした。
この博士課程の先輩は、研究者としては優秀ですが人間性がアレですので、修士課程での就職活動で面接官に人間性を見抜かれてしまい、どこにも就職出来ませんでした。だから、博士課程に逃げたのです。
反面三菱化学に就職された方は、化学御三家、石油系企業などの超一流企業の研究職から内定を取りまくっていました。
そして、この博士課程の先輩が就職活動で上手く行っていないことに大して「就活楽しいでw」と言ったそうです。
この博士課程の先輩は、この方のこの発言をいつまでも根に持っていました。
言われて当然かなとも思いますが、ちょっと可愛そうかなとも感じます。

 

この博士課程の先輩は、元々性格が歪んでいましたが、就職活動での失敗という経験、博士課程という非常に厳しい生活を送る中で、さらに性格が歪んでいったのでしょう。
この先輩から、まだまだ色々素敵なことをされてきましたが、敢えて言わないでおきます。

 

というかこの先輩に限らず、私の研究室の人間は総じて歪んだ競争意識をお持ちの方だったと思います。

また、信州大学と北大大学院で理系の人間と接してきて感じたことは、いつまでも根に持つ陰湿な人間ばかりだということです。
下手なことしたらずっと恨まれて、関係が修復不可能になるということです。
こういう理由から、私は理系の人間と関わりたくなく、SEとして文系就職しました。

 

・研究職は地獄
帰れない、結果を出さなきゃクビ、研究ができない人間は人間じゃない、これが研究職の実態だと、私は北大大学院の研究室にいて分かりました。

 

私の研究室に、三菱化学の研究員が2人共同研究でやってきたことがありました。
私はこの方々に「研究は忙しいですか?」とお聞きしました。
すると、2人とも青白い顔で死んだ目をして、「帰れないですよ・・・」とポツっと言いました。

 

私の研究室の教授は、民間上がりの方でした。
実験ノートの書き方を教わったことがあったのですが、この時こういう話を聞いてしまいました。
「実験ノートにきっちりデータを残しておけば、自分がやった実験と同じ実験を影でほかの人がやって確認していたなんてことは無くなるよ」と。
研究職は、こういうところなのですね。
一度研究ができないとレッテルを貼られたら、このようにプライドを傷つけるようなことを徹底的にやられるということです。

 

また、昭和電工にお勤めのOBの方から聞いた話ですが、研究が出来ないと、研究職から品質管理の仕事に飛ばされたりもするそうです。
私はSEをやっているので、品質管理の仕事は最も重要な仕事だと認識していますが、研究職の方からすれば、この仕事はクズみたいな仕事なのでしょうね。

 

・研究職は学歴主義
研究室の忘年会で教授が言っていました。
「北大の独立研究科なんて、住友化学などの会社の研究職ではクズみたいな存在だ」と。
住友化学のような会社の研究職は、東大・京大・東工大が当たり前らしいです。

 

もう一つ。
かつて、この独立研究科の博士課程を卒業された先輩が、企業の研究職を辞めて東工大の助教になったという話を聞きました。
そして、この方は東工大でこう呼ばれていたそうです。
「野良犬」と。

 

北大大学院は、学生は優秀でしたし、研究設備や教授陣も一流でした。
そこで沢山刺激を受けたおかげで、私は能力アップ出来ました。
また、理系の人間や研究職の負の側面を見ることが出来て、私には研究職は向いていないことに気づかせてくれました。

 

北大大学院の研究室で勉強したおかげで、文系就職に目を向けることができ、北大の学歴があったからこそ、今の会社に就職できました。
そして、この会社で色々社会勉強して、せどりに目覚めて、それなりの蓄財が出来て、今こうして穏やかな生活を送れています。
北大大学院の研究室で鍛えられたからこそ、仕事が緩いと感じられますし、上司からムカつくことをされても、北大大学院の人間からされたことと比べれば屁でもありません。

 

北大大学院の研究室には色々感謝しています。
しかし、もう一度あそこに行きたいかといえば、答えはNOです。
あれは1度経験すればもう充分ですね。

 

もしもう一度大学に行くことがあれば、次は東大六郎さんみたく文学部に行ってみたいです。

 

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以上です。