小学校を散々な成績で卒業して、晴れて中学生になりました。

 

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中学生になると、何故か塾に通うことになりました。

練成会という塾です。

 

中学校入学前の春休みに、練成会のクラス分けの選抜試験を受けました。

 

私は小学生時代、頭が非常に悪かったことを前回の記事で申し上げました。

 

この試験で自分が如何に頭が悪いのかが、客観的に分かってしまいました。

選抜試験で、300点満点中90点(30%)しか取れなかったのです。

 

この試験は、「普通に」小学校時代を過ごしていれば、180点(60%)は取れるレベルの試験だったそうです。

なので90点というのは、試験を受けた人の中でほぼビリの成績でした。

成績表を見ると、90点(30%)の得点で入れる高校は、地元の底辺高校くらいしかありませんでした。

 

試験の出来が悪すぎたため、練成会のクラスの中で最低レベルのクラスである「練成クラス」に入ることになりました。

私は、早くも入学前から「底辺」のレッテルを張られることになったのです。

 

ちなみに、一緒に試験を受けた小学校時代の知り合いは210点(70%)取って、成績優秀者として名前が掲載されてました。

練成会では200点(66%)以上得点すると、成績優秀者として名前が掲載されます。

その彼は上位クラスの「選抜クラス」に入っていきました。

中学卒業後、地元の二番手の偏差値52の高校に進学して、その後東京の5流大学に進みました。

 

 

さて、中学校に入学します。

ここからは、時系列で書いていきます。

 

■中学校1年生

小学校から中学校に上がる際に、小学校6年時のクラス担任から中学校のクラス担任に、その生徒の調査書が内密に渡されます。

私は小学校6年時のクラス担任から嫌われていたので、調査書には私をけなす私的な感情まみれの事が書かれていたはずです。

なので、中学校の担任から「問題有りの子。要注意」と色眼鏡で見られることになります。

 

この担任からこう言われたことがあります。

小学生の時の先生から「とんでもない奴だと」書かれていたよ。だからこれから頑張ろうね、と。

 

この段階で、通信簿の評定で不利になります。

 

通信簿の評価が1~5の五段階評価なのは、全国共通でしょう。

しかし、評価の仕方が、都道府県によって異なります。

北海道は特殊なのです。

 

北海道以外は、通信簿は定期試験の点数で評価が付きます。

しかし、北海道ではテストの点数に加えて、「普段の行い」を教師が評価して通信簿を付けます。

 

この「普段の行い」というのが曲者です。

教師の主観が入るからです。

 

要するに、その教師が気に入っている生徒ならば「普段の行い」の評価が勝手に上がり、気に入らない生徒ならばいくら努力しても「普段の行い」の評価は低いままです。

 

つまり、どれだけ努力してテストで高得点を取っても、教師から嫌われていたら、5の評価が付くことはほぼ無いということです。

無茶苦茶ですね。

 

北海道の中学教師は、権力が非常に強いんです。

 

どうして通信簿の話をここまで強調するのかというと、北海道の高校入試では内申点が物凄く重視されるからです。

内申点がある一定以上に満たないと、いくら入試で得点する力があっても行きたい高校に受験すら出来ないのです。

 

北海道の場合、内申点は中学校3年間の通信簿から計算します。

つまり、行きたい高校を受験したいのなら、中学1年生から教師に好かれるよう努力して、テストで高得点をとり続けなければなりません。

 

3年間の通信簿全てが内申点に計算されるので、一度落ちこぼれると這い上がることはほぼ不可能なシステムになっています。

 

私は中学生になっても、相変わらず要領の悪い子供でした。

 

しかも思春期で反抗期に入ったこともあって、教師に逆らいまくるようになります。

教師に平気でタメ口を聞いたり、宿題をサボるなど問題行動ばかりしてました。

 

当然、どの教師からも嫌われます。

通信簿の「普段の行い」の評価が最低になりました。

 

加えて頭も悪かったのです。

 

1年生の最初の中間テストで、5教科500点満点(1教科100点満点)のテストで120点(24%)を叩き出しました。

 

1年生の最初の中間テストは主に小学校で習った問題が出題され、非常に簡単な試験だったそうです。

なので、クラスのほとんどの子が100点を連発していました。

 

返却された成績表を見ると、合計点の下に「36」と「179」いう数字が書かれていました。

クラス担任に聞くと、この数字はクラス順位と学年順位だそうです。

 

私のクラスは36人いました。

要するにこの中間テストで、私はクラスビリの成績を取ったことになります。

 

そして、1学年に5クラスあり、1クラス36人なので、1学年全員で180人いることになります。

つまり、私は学年順位「179位」なので、同級生の中で1人しか下にいないことになります。

 

普段の行いも最低、テストの点数も最低。

 

1学期の通信簿で、驚愕の結果が出ました。

均すとオール2の成績で、内申点ランクで「Jランク」がきました。

 

北海道にお住まいの方でしたら、この「Jランク」が如何に酷い成績か分かりますね。

「Jランク」で受験できる高校は、その地区の底辺高校しかありません。

ちなみに、その地区トップの高校の場合は、最低でもDランク(オール4)が必要です。

練成会の講師から、こう言われました。

「Jランクじゃ、○○高校(底辺高校)しか無理だわ」と。

 

これが私の中学1年生の1学期の出来事です。

 

ところが、夏休みに入り状況が変わります。

 

練成会の夏期講習では、成績上位の生徒が集まる選抜クラスと、成績下位の生徒が集まる練成クラスが合同で同じ授業を受けます。

 

この時私は選抜クラスの他校の女の子に初恋をしました。

彼女は成績優秀者として、いつも名前が載っている子でした。

 

私は、この子の気を引くためにはどうすれば良いか色々考えました。

 

練成会の英語の授業では、授業の初めに単語のテストが課されます。

10点満点のテストで、8点以上取ると優秀者として名前が呼ばれます。

自分の名前が何度も呼ばれれば、きっとこの子の気を引けると思ました。

 

そこで、英単語の勉強を悪い頭で死ぬほど頑張りました。

たった10個の単語を覚えるだけなので、普通の子ならば全部覚えるのに30分もかからないでしょう。

しかし私は究極的に頭が悪かったので、たった10個の単語を覚えるのに5時間もかかっしまいました。

しかも、5時間もかけたのに単語のテストで10点中8点を取るのが精一杯でした。

10点中8点を取ったので、何とか名前を読んでもらえましたが、彼女の気を引くことは出来ませんでした。

 

しかし、この単語のテストで頑張ったことがきっかけで、英語が好きになりました。

 

2学期に入り、英語の成績が飛躍的に伸びます。

英語だけ中間テストで80点くらい取れるようになりました。

英語の成績が伸びたことがきっかけで、自分もやれば出来ると自信が付きました。

それに連れて、他の科目も定期テストで50点位取れるようになりました。

その後も定期テストの成績が少しずつ伸びていき、3学期の定期テストでは5教科500点満点で320点(64%)くらい取れるようになりました。

クラス順位が36人中14位まで上がりました。

定期テストの点数が伸びたことで通信簿に「3」が幾つか付くようになり、内申点ランクも「Iランク上位」に上がりました。

 

夏に英語単語のテスト勉強を経験して、何か一つでいいから愚直にやり続けると物事は良い方向に進むことをここで学びました。

 

ところで中学校の場合、クラス担任が3年間変わることは普通はありません。

 

しかし、私がいたのは地方の公立中学でしたので、荒れている生徒が沢山いました。

不良だらけの中学校だったと言えます。

不良が万引きをしたり、窓ガラスを割ったりと問題を起こすと、クラス担任がお店や家に謝りに行かねばなりません。

そして、不良の生活指導を放課後に何時間もかけてしなくてはなりません。

この他にも、授業の準備をしたり、学級通信を書いたりなどの日常業務もこなします。

 

中学校の教師は、激務でブラックな職業ですね。

肉体的・精神的にタフでないと務まりません。

 

私が一年生の時の担任は、22歳の教師になりたてのちょっとぽっちゃり体型のめんこい女性でした。

1学期の頃は教師という職に希望と誇りと理想を抱いて活き活きとしていましたが、3学期にもなるとガラガラに痩せこけて死んだ顔をしていました。

そして、3学期の終わりにとうとう体を壊して休職してしまいました。

 

■中学校2年生

1年生の時の担任がダウンしたので、クラス担任が変わりました。

お次は、北海道教育大学の体育系の学科を卒業したばかりの、22歳の男性教師でした。

 

この先生には、大変お世話になりました。

「1年生の時のお前の担任さ、調書でお前のこととんでもない奴だと書いてたぞ」と、直接言われたりしましたが、実際は先入観なしに人を見ることが出来る人格者でした。

この先生は私に大変親身に接してくれ、内申書も良く書いて頂きました。

この先生がいたからこそ、最低レベルの成績から偏差値50の高校に入れたのだと思います。

 

ただ、体育会系の熱血教師だったことが仇となり、クラスの女子から嫌われて、猛烈なイジメにあいました。

黒板に悪口を書かれたり、休職のスープの中にチョークを入れられたりと、陰湿なイジメを受けていました。

 

私はこの先生のことが好きだったので、黒板の悪口を消してクラスの女子を怒りました。

 

かといって仕返しにイジメられたりはしませんでした。

何故なら、私は嫌がらせを受けたら、本人に直接10倍返しでやり返す人間だったからです。

 

イジメをする人間は、抵抗しない人間をターゲットにします。

ターゲットが抵抗しないと分かると、さらにイジメがエスカレートしていきます。

子供も大人もイジメをします。

子供も大人も同じです。

抵抗しない大人しい人間をターゲットにして、徹底的にイジメて抹○します。

 

イジメって、「○人未遂行為」だと思います。

なので、大人しくしていてはダメです。

どんな理由であれ、イジメは絶対に許されない行為です。

イジメをする人間は、自分一人で何も出来ない思考停止の人形です。

なので、徒党を組んでたった一人の人間を徹底的に攻撃します。

 

私は、イジメをする人間に人権は無いと考えています。

なので、私はイジメをしてきた人間を二度と同じことが出来ないように徹底的に懲らしめます。

 

この姿勢は、大人になった今も変わりません。

 

社会人になり、入社したての立場の弱い私をイジメてくる人間が何人もいました。

周りから好かれないと社会人失格と思い込んでいたので、上司や先輩が自分をどう思っているのか気になり、いつもオドオドしていました。

何を言っても抵抗しない人間だったので、恰好のイジメのターゲットだったことでしょう。

「これは○されるな」と思われるようなイジメを3年目の先輩から受けたがありました。

この時は本当に大変なことになると思ったので、先輩を怒鳴りつけました。

この先輩は、私がまさか逆らうとは思わなかったのでしょう。

この先輩は、私の怒鳴り声に怯えて震えてしまい、その後手のひらを返したように優しくなりました。

ですが、その後上司から呼びだされて「先輩に逆らったお前が100%悪い」と言われて、そのプロジェクトから追い出されました。

上司が先輩に加担しましたが、イジメをしてきた先輩は私を怖がり、二度と私に嫌がらせをしてこなくなりました。

怒鳴って良かったと思います。

 

こんな感じでイジメをする人間は弱い人間なので、イジメを受けたら徹底的に戦いましょう。

イジメをした段階で、イジメをした人間が100%悪くなりますので、死ぬほど懲らしめて差し上げて結構です。

 

「イジメられる側にも原因がある」とほざく教師や上司が山ほどいますが、そういうお馬鹿さんにはこう言ってあげましょう。

「ではあなたのお子さんが同じ目にあったときに、あなたは自分の自分の子供に、イジメられるお前も悪いと平気な顔して言えますか?」と。

 

話が逸れましたね。

 

中学2年生は勉強をサボって、ゲームばかりしていました。

この頃は、FF7やアークザラッド2、ゼノギアスなど面白いゲームが沢山あったので、勉強しているヒマはありませんでした。

 

しかし、相変わらず英語に対して得意意識を持っていたので、英語はいつも80点をマークして、通信簿で「4」が付いていました。

また、一年生の夏休みの時の英単語の勉強で頭が鍛えられたのか、あまり勉強しなくても定期テストでクラス順位を36人中14位をキープしていました。

 

この頃は、通信簿は英語で「4」が一つと、「3」と「2」が半分づつくらいあり、内申点ランクが「Hランク下位」まで上がっていました。

 

■中学校3年生

私の地元では、3大公立高校と呼ばれる高校があります。

 

トップが偏差値59の進学校、二番目と三番目が偏差値50の高校です。

今思えばどれも大した高校ではありませんが、それでも私の地元では、この3つの高校に入れば「優秀」「将来安泰」と言われていました。

偏差値50の高校で「優秀」「将来安泰」なんて、井の中の蛙で笑ってしまいますね。

 

三番目の高校には、内申点ランクが最低で「Gランク」あれば受験出来て、入学試験で5教科300点満点中200点(66%)取れれば合格出来ます。

私は3年生の段階で、内申点ランクが「Hランク下位」、模擬試験で5教科300点満点中150点(50%)取れていました。

もしかするとこの一年間努力すれば、この三番目の高校に入れるのではないかと思いました。

 

そこで、まずは内申点を上げるために、授業を滅茶苦茶真面目に聞いて教師に好かれるよう努力しました。

授業のノートを丁寧に丁寧に取って、それを教師に見せて真面目さを必死にアピールしました。

また定期テストに向けて、試験の1ヶ月前から毎日5時間位勉強しました。

その結果、1学期の中間テストと期末テストで、合計得点が5教科500点満点で400点(80%)で、クラス順位が36人中8位にまで上昇しました。

定期テストでは英語が満点だったので、とうとう英語で「5」が付きまいした。

その他「4」が少しと、後は全て「3」が付いて、内申点ランクが「Hランク上位」に上がりました。

また、定期テストの成績が塾講師に評価されて、練成会のクラスが「選抜クラス」に上がりました。

 

この結果から、努力さえすれば自分は上がっていける人間だと、強く思い込むようになりました。

 

しかし、後に同じ高校に行く友達は定期テストの前日にちょこっとだけ勉強しただけで、400点(80%)取っていました。

クラスで成績上位の人の殆どが、授業だけ聞いて、後は全然勉強しないで高得点を取ってたそうです。

彼らに私がテストの1ヶ月前から毎日5時間勉強していると話をしたら、勉強し過ぎ、何でそんなに勉強したのにこんな点数しか取れないの、と笑われました。

 

小学校時代・中学校時代は、授業を受けてるだけでテストで高得点が取れてしまう子供が必ずいますよね。

私は、当時はこういう人間は「天才」だと思いました。

勉強しないのに、何故テストで高得点が取れるのか不思議でなりませんでした。

 

進学校には、中学時代にこういう天才タイプの子供が多数います。

しかし、彼らは高校で落ちこぼれるパターンが多いそうです。

 

私は中学時代はバカだったので、こういう天才が何故落ちこぼれるのか理由が分かりません。

 

ネットを見る限り、どうやら彼らは、中学の勉強内容は簡単で、授業だけで何故かテストで満点が取れてしまったそうです。

しかし、高校になると勉強内容が難しくなり、かつ数学のように考える力が要求されるため、暗記だけでは太刀打ち出来ず、結果落ちこぼれていくそうです。

 

ですが、中学時代に天才だった彼らは、授業を理解して、授業の内容を頭のなかで整理して記憶できる能力があったわけです。

なので、それを高校でも実践すれば、簡単に偏差値50位の国立大学に行けるのではないかと思いますが、どうやらそうはいかないようですね。

 

天才の事情は、私は一生理解できないと思います。

 

そういえば、その同じ高校に行った天才タイプの彼は、やはり高校入試は超楽勝と言っていましたが、高校の勉強に付いて行けてませんでした。

彼は、専門学校に進学した後、今は東京で派遣のSEをやっています。

 

話を戻します。

 

1学期に成績が上がった事に自信を付けて、2学期に入ってからさらに勉強しました。

毎日5~6時間は勉強していたかと思います。

 

地元の3番の高校に入れば人生安泰だ、地元の3番の高校は憧れの存在だと思い込んで、勉強していました。

中学3年生は、とにかく勉強ばかりしていました。

 

そしてとうとう2学期の期末試験で、合計得点が5教科500点満点で410点(82%)、クラス順位が36人中5位、学年180人中20位まで上がりました。

 

通信簿も「5」が一つと「4」が多数で、内申点ランクが「Gランク下位」になり、ようやく地元の3番の高校の受験資格を手に入れました。

内申点ランクは本当にギリギリで、通信簿で何かの科目の評定が1つ下がっただけでも、「Hランク」に落ちる状態でした。

 

本当に紙一重な状態で、何とか地元の3番の高校を受験できました。

入試本番でも5教科300点満点中200点(66%)取れて、何とか合格できました。

高校の事務局に聞いたところ、中の下の成績で合格だったそうです。

 

私の中学時代の成績は「Gランクの200点(66%)」でした。

 

高校入試で66%の得点は、進学校にいた方からすれば、鼻で笑うような成績かもしれませんね。

しかし、通信簿が「2」と「1」のオンパレードで、模擬試験で90点(30%)しか得点出来ず、行ける高校は底辺高校のみ、定期試験でクラスビリの状態から、ここまで這い上がったのです。

 

中学時代に上昇した経験があったからこそ、田舎の偏差値50の高校でダントツトップの成績で、信州大学理系学部に進学できたのだと思います。

ちなみに、信州大学の同期は全員、高校入試で90%以上取って一流進学校に入学したそうです。

 

しかも北海道の公立高校の入試問題は、全国でもっとも簡単な部類に入ります。

ちなみに、もっとも難しいのは長野県の入試問題です。

 

中学時代の話をまとめます。

 

私はクラスビリで行ける高校は底辺高校しかない、そんなどうしょうもない状態でした。

しかし、英単語を10個を5時間かけて覚える努力をしたことがきっかけで、大きく飛躍しました。

 

一つのことを愚直にやり続けることで、例え今どんなバカでも成績は上がります。

 

そして、自分は努力しないとダメな人間だと思いっていたので、人一倍勉強しました。

その介あって、クラスビリから、クラス5位にまで這い上がり、志望校に合格出来ました。

 

この時の経験は、せどりにも活きています。

 

私は稼げる才能が無いと自覚していたので、人一倍努力しました。

地方に何度も何度も車に出向き、地方せどりという手法を愚直にやり続けたおかげでブルーオーシャン市場を見つけ、大きく稼ぐことが出来ました。

 

大きく稼ぐためには、以下のことをやれば良いのです。

・一つのことを愚直にやり続けること

・人一倍努力すること

 

大変シンプルですね。

みなさんも自分は稼ぐ才能がないと思い込んでいるなら、上記の考え方を実践してみてはいかがでしょうか。

 

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私は偏差値50の高校を中退して高認を取り国立大学を受験しました』に続く>>